シンポジウム「物理学に夢とロマンを−拡大する物理学の地平線とキャリアパス」概観

パネルディスカッションファシリテータ

三浦有紀子

 

 このシンポジウムの当初の目的は、物理学という基礎学問がいかに拡大する可能性を秘めているのか、その可能性の中で自分のキャリアをどう発展させていくべきかを考える機会を得るということで、実際に物理学の手法を用い、経済学、分子生物学、医学、e-learningに挑戦し成功を収めたあるいは収めつつある方々をお呼びし、講演いただいたのである。

 聴衆の数だけでいえば、ほぼ満足できる結果であったが、図らずも若い参加者は少なかったことは、キャリア支援センター長である坂東先生の指摘や開催後回収したアンケートからも感じられた。ポスドクや任期付の身分で研究を続けている人たちにとって、学問の「夢とロマン」を語るのは、本当に「夢」の世界であり、キャリアパスの問題は切羽詰った「現実」であることを会場とのやりとりの中で感じた参加者も少なくなかったであろう。数年のオーバードクター経験はあっても、現在のポスドクたちが置かれているような状況を経験することのなかったシニア世代にとっては、目を背けてはいけない現実を知る機会になった。

 しかし、このシンポジウムの本当の成果は、もっと別のところにあったと思われる。それは、サイエンスの本質と使命を講演者が自らに問い、また聴衆に問うていたところにある。これについては、世代を問わず自らのキャリアの問題に照らすべきことで、その意味では若手というより、シニア世代の研究者が視野を広げ、若い世代を育てる視点を提供したという意味の方が大きかったかもしれない。それが二次的に波及して若手の視野を広げ、さまざまな分野に目を向ける機会を作るとしたら、その効果は計り知れない。

 では、まず自らのキャリアパスに悩む方々、個人の身に置き換えて考えてみよう。もし、サイエンスの使命を全うできる自信があるのならば、この不遇な状況を受け入れても探究の手を休めてはいけない。逆に、この不遇な状況のためにサイエンスの使命を見失うようなことがあるのなら、早急に手を打たなければならない。また、サイエンスの本質を絶えず見極めていられるのならば、どんな仕事に携わったとしても、その進歩に貢献できるのではないだろうか。

一方、物理学に関わる方々、全体について考えると、サイエンスの本質を見極める鋭い眼をもって、物理学がどのように発展すべきなのかを検証すべきである。ある参加者から「今の状況は、大勢の若い物理学者がマンハッタン計画の片棒を担いだ当時の状況に似ている」という指摘があったのは、まさにそこなのである。さらに、絶えず客観的視点から、物理学がその使命を全うしているのかを注意深く見守る必要があろう。新しい学問領域を生み出す母としての役目は、その使命のひとつだ。

若い人たちへの問題提起は、それだけにとどまらない。物理学至上主義、物理帝国主義的な発言が数多く出たが、偉人たちの素晴らしい功績によって栄えてきた物理帝国を次に担うべきは誰なのか、端的にいえば、誰がアカデミアに残るべきなのかと問われているような気になったのは大げさだろうか。以上のような議論の中から、自らの身の処し方を聴衆に考えていただいてようやく、このシンポジウムは成功であったといえる。

 生命科学の出身である私からすれば個人的には、和田昭允先生に、分子生物学はDNAに目をつけた物理学者たちが創成した分野であることに加え、世界で誰よりも早くゲノムプロジェクトを立ち上げようとしたときの日本政府の無理解を愚痴っていただきたかったのだが、多くの分子生物学者に「科学者になったのなら、あんな仕事をしたいと思う。」と言われるほど先生の功績が評価されている今となっては、大人気ないと思われたのだろう。

現在、分子生物学的手法は、生命科学者が例外なく用いるツールになった。そして、和田先生が言い出されたゲノムプロジェクトは、まんまと米国に出し抜かれ、今のこの状況になっている。日本人生命科学者は米国に行くと、必ず誰かにこの話を聞かされ、痛烈な教訓として記憶に留めるのである。政府が科学に対する先見の明を持つか持たないかで、その国の国益が大きく左右されることを如実に表す事例として、さらに科学者が科学技術関連政策立案の現場に出て行かねばならない理由として。先生に愚痴っていただきたかった訳はここにある。

話は少し逸れたが、我々は博士号を取得する過程で、サイエンスの本質と使命を常に考えていかねばならないことを無意識のうちに強く刷り込まれてきていることは確かだ。アカデミアに残らない選択を考え始めるきっかけは、目先の生活や将来展望への不安からかもしれないが、実際に別の道を歩み始める前に、このことを再度じっくりと考え直す必要がある。私が見聞きしたポスドクの転身事例が結果的に成功するのか失敗に終わるのかは、この部分にあるような気がしてならない。

今回のシンポジウムは、日本物理学会キャリア支援センターが主催する第1回ということに加え、日本学術会議との連携が具体的に実のある形で実現したという点でも大変意義があった。若手人材の育成という見地からご挨拶いただいた学術会議の永宮先生は、講演会とパネルディスカッションさらに懇親会までご参加くださった。ご多忙であろう先生が、最後までお付き合いくださったことに感謝するとともに、ディスカッションのパネリストとして、席を用意できなかったことは私の反省点である。

永宮先生は、かつて放射線医学分野でお仕事をされたこともあり、物理学側から見た放射線医学に造詣が深く、講演者のお一人である遠藤先生や同分野でご活躍中の伊藤彬先生とも旧知の間柄であることがわかった。今後のキャリア支援にとって、単なる就職斡旋ではない職業創生と新しい学問領域開拓という学会でこそ取り組める、取り組むべき課題への突破口となる可能性に満ちた医学物理学分野の更なる発展にとって、この再会は大きな推進力となるだろう。経済学を始めたコペルニクスではないが、優れた科学者というものは、いつも幅広い視点と実力を兼ね備えているものだと感じ入った。

以上のような点でも、質の高い、素晴らしい成果があったシンポジウムであった。会誌編集委員長の住吉先生等、参加いただいた方からは次回に対する期待の声も多かった(参考参照)。314日には、医学物理学に関するシンポジウムを開催する予定である(詳細は、キャリア支援センターHPを参照)。次回には、さらにこの影響が広がるのではないかと思われる。

 

【参考】住吉先生のコメント

先日のキャリア支援のシンポジウム、物理学が様々な分野で役に立つことをその先駆者たちによって語られるということで、大変良い企画だと思いました。ただ、あのような境界領域に進んで行けるのはやはり非常に能力の高い方たちで、誰もが成功するわけでも無いように思います。5年PDをしている女性が質問されたように、実際に支援を受けたい方はもっと切実な思いをしている方が多く、殆ど新領域を開拓する夢ももてないような人たちではないでしょうか?普通のPD(失礼かもしれませんが、非常に高い研究能力を持っている訳ではないが、一般の人に比べれば高い能力を持っている人たち)でありながら、成功した方などの話を聞く機会があっても良いかなと思いました。兎に角、一歩飛び出すきっかけを作ってあげれば、元々高い能力を持っているので、それなりに活躍できると思うのですが、そのきっかけとしてどのようなものが適当なのでしょうかね〜。私には非常に面白い講演会でした。どうも有り難うございました。